福岡県北九州市のお客様 K18パールネックレス買取しました!
真珠養殖の歴史は古く、中国大陸で1167年の文昌雑録音に真珠養殖の記事があり、13世紀には仏像真珠という例があります。ただしこれらは貝殻の内側を利用する貝付き真珠です。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、フランスのルイ・ブータン、イギリス人ザビル・ケントなど各国で養殖真珠の研究が行われていた。
日本では、1893年(明治26年)に東大三崎臨海実験所箕作佳吉の指導をうけた御木本幸吉が英虞湾 神明浦で養殖アコヤガイの半円真珠の生産に成功しました。 また、1905年(明治38年)に御木本幸吉は英虞湾の多徳島で半円の核を持つ球状真珠を採取したことが知られています。この採取によって御木本幸吉は真円真珠の養殖成功を確信しました。この1905年(明治38年)が真円真珠の生産に成功した年と書かれることが多いが、これは誤りです。
真円真珠の発明者は、日本では西川藤吉・見瀬辰平の2人があげられる。1907年(明治40年)見瀬辰平が、はじめて真円真珠に関し「介類の外套膜内に真珠被着用核を挿入する針」として特許権を獲得した。続けて西川藤吉が真円真珠生産に関し真珠形成法の特許を出願する。この一部が前述の見瀬辰平の特許権に抵触するとして紛争が起こる。調停の結果、西川籐吉の名義で登録し特許は共有とすることとなった。また1916年(大正5年)および1917年(大正6年)に西川藤吉の特許が4件登録されました。西川藤吉は既に物故していたため、息子の西川真吉が権利を受け継いだ。現在の真珠養殖の技術は西川藤吉のこれらの技術に負うところが多い(西川藤吉は御木本幸吉の次女の夫である)。
おたからや横代北店では真珠の他に金・プラチナ・ダイヤモンドなど多種多様にお買取りを致しております。お気軽にお立ち寄りください。スタッフ一同皆様のご来店をお待ちしております。
買取専門店 おたからや 横代北店を
友だち追加
査定希望の品の
お写真の撮影・送信
お写真を参考に
仮査定額をお見積り