福岡県北九州市小倉南区のお客様 ヴィヴィアンウエストウッド ネックレス買取しました!
ご覧いただきありがとうございます。
おたからや横代北店の林です。
福岡県北九州市小倉南区のお客様からヴィヴィアンウエストウッドのネックレスをお買取させていただきました!
ありがとうございます!
ヴィヴィアンウエストウッドは81年からランウェイショーをおこなっているイギリスのファッションブランド。
ブランドとしての歴史は更に前にさかのぼり、正式なコレクションとして発表されるその10年ほど前(1971年)から、ロンドンのショップで洋服が販売されていました。
70年代のパンクムーブメントを作ったブランドとして有名なのはもちろん、その後も独自のアヴァンギャルドでありながらエレガンスを感じさせるデザインで、世界中から愛されています。
さて、そのブランドのデザイナーであるヴィヴィアン・ウエストウッドは、1941年、イギリス中部のダービーシャーに生まれます。
5歳の頃には靴を作れるくらい才能があった、と本人は言っています。
10代後半の頃にロンドンに移住。
1960年代、女性の職業の選択肢は決して現代ほど多くはなく、そんな中、画家を目指して美術学校に通っていました。
しかし、経済的に決して裕福でなかった彼女は学校に通い続ける事が難しくなり、退学。
その後、美術教師になるという事も視野にいれて教員養成学校に入り、教師を目指す傍らで画家になる夢も諦めずに絵を描き続けていました。
しかし、画家になる夢は叶わず、一旦は美術教師として社会人になることに。
社会人になって数年後、62年にデレク・ウエストウッドと結婚、その後出産を経験します。
本人曰く、とても安定した「アメリカン・ドリーム」そのもののような生活で、まさに「素敵な奥様」のようにヴィヴィアンは暮らしていたそう。
しかし安定している反面、知的好奇心の満たされない生活に辟易としたヴィヴィアンは、出産のあと、わずか3年ほどで離婚を決意。
その後、1965年にマルコム・マクラーレンと出会い、“パンクの女王”としての運命が動き始めたのです。
1971年、マルコムと共にロンドンに自分達の店をオープン。
最初は経営の苦しい店の半分のスペースを借りて、CDショップとしての営業だったそうです。
社会人生活時代に自分の服を作る事があったヴィヴィアンは、その店で自作の服を売り始めます。
そして1976年、マルコムがプロデュースし、ヴィヴィアンも衣装のデザイン等を担当したセックスピストルズがブレイク。
マルコムとの店もそれを期に人気店となり、ヴィヴィアンの作ったファッションを含めたパンクムーブメントが生まれる事となりました。
パンクの女王、ヴィヴィアンウエストウッド。
当店では買取強化中です!
北九州でのうランド品のお買取なら是非!おたからや横代北店にお任せください!
買取専門店 おたからや 横代北店を
友だち追加
査定希望の品の
お写真の撮影・送信
お写真を参考に
仮査定額をお見積り
LINEのトーク画面にてお品物のお写真をお送りいただくことで、事前におおよその査定額のお見積りが可能です。「依頼したいけどどれぐらいの価値があるんだろう‥」「とりあえず値が付くかどうかが知りたい!」など、まずはお気軽にご利用ください。