福岡県北九州市小倉南区のお客様 Pt850ネックレス買取しました!
当店ホームページをご覧いただきありがとうございます。おたからや横代北店齋藤です。
今回は北九州市小倉南区のお客様よりプラチナネックレスをお買取りさせていただきました、ありがとうございます。
プラチナ が日本に伝わったのは19世紀後半、江戸時代末期のことだそうです。 外国と交流のあった長崎の遊女が最初の着用者とされ、その後、明治の欧化政策によって貴族や華族の女性がこれに続きました。 同様に、日本人がプラチナに出会ったのも江戸時代末期のこと。
遣欧使節がロシアでプラチナ塊に出会ったのが最初と言われています。
明治末期には、すでにカタログにおいて“白金製”と明記した首飾りを掲載していたのがミキモトだそうです。真珠王の宝石店は欧米の一流店に伍すべく、意匠と技術の導入に努めました。大正6(1917)年には、大正皇后のティアラを初めて国産化。以来多くの宝石店がプラチナを手がけます。昭和天皇ご成婚の頃、大正12〜13(1923〜1924)年に制作されたのが、唐草モチーフのプラチナ製ティアラです。ごく薄いプラチナ枠の縁に施されたミルグレインが見事な逸品でした。
日本のジュエリー史は、ヨーロッパのプラチナ時代と並行し、常にその吸収に努めつつ、1930年代に肩を並べる水準に達します。その象徴ともいえるのが、昭和12(1937)年のパリ万国博に出品した「矢車」です。技法とデザインの両面において戦前の日本のプラチナ・ジュエリーを代表する作品であり、独自のスタイルと新機軸、熟練と洗練を伝えています 。このプラチナも愛用者が多く需要もあります。
当店横代北店では出張してお伺いする生前整理も受け付けております。お気軽にお声掛けください。
店舗ではブランド品は勿論、時計・商品券・アクセサリー・貴金属・古銭・切手・家電製品など多種多様
に買取を行っております。
新品未開封、保管品、は勿論長年愛用されたお品物でももちろん査定させて頂きますのでお出かけの際にお気軽にお立ち寄りください。
なおラインにてお写真を送って頂ければ査定させていただきます。
スムーズにご案内できるようラインにての来店予約も承っております。是非ご活用ください。
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