広島県のお客様 骨董品、美術品買取しました!
ご覧いただきありがとうございます。
おたからや横代北店の林です。
今回は広島県のお客様から骨董品、美術品をお買取りさせていただきました!
とても大きい絵画ですね!
結構この「赤富士」ってモチーフにされていることが多く、よく見る気がするんですが、気になったので調べてきました!
そもそも赤富士とは、主に晩夏から初秋にかけて富士山が朝日に照らされて赤く染まる現象を言うみたいです。なるほど、1年通して見れるわけではないんですね。
一瞬の美しさゆえに昔も今も芸術家の心を捕らえて離さないのでしょう。
最も有名な赤富士の絵画と言えば葛飾北斎ではないでしょうか?
そして赤富士は様々なジンクスが存在します。
滅多に見ることができないためか、見たものは災厄を免れたり、商売がうまくいくなど、願いが叶うと言われています。
風水的にも東から東南に赤いインテリアを置くと縁起がいい、と言われているので室内に赤富士を飾る人が多いのも納得ですね。
先程、もっとも有名な赤富士は葛飾北斎だ、と記載しましたが実はもともと赤富士ではなく、もとはほぼ白の富士山だったらしいです。
そもそも浮世絵の作り方は、まず浮世絵のデザインを元に掘り師が版木を作製し、この版木はそれぞれの色ごとに複数の版木が作られます。
そして刷り師によって順番に色を刷り重ねて色が付けられていきます。
では何故、赤富士の赤はなぜ塗り替えられてしまったのでしょうか。
これに大きく関わったのが版元です。版元とは浮世絵師に仕事を依頼して販売をしていて、現代で言うところの出版社です。
版元の発注によって作られていた浮世絵ですが、版元には現代では考えられないある権限がありました。それは、版元が赤い方が売れる!と判断したら、絵師に許可なく勝手に色を替えてしまう事ができたのです!
版元は最初にデザイン料だけ支払えば、自由に色を替えて販売する事ができたのです。
初ずりと言われる最初の200枚までは浮世絵師の指示通りの色で刷られるのですが、初ずり以降は版元の判断で色を塗り替える事ができたのです!
これによりもともと白かった富士山が赤く変わってしまったのです。
しかしもともとの白富士より、赤富士の方が有名になってしまったのは何とも言えないですね…
ちなみに、葛飾北斎は名前を30回も変えたと言われています。改名した理由には主に2つの説があり、1つは、お金に困って弟子に自分の名前を売ったという説です。
そしてもう1つは、北斎には自己韜晦(とうかい)癖があったという説。自己韜晦とは、自身の才能や地位を隠して表に出さない事。有名な画家の作品だから皆が買っているのではないかという事で、自分を隠して誰の作品か分からない状態で、画だけで勝負し、世間を試したかったという考えが北斎にはあったとされています。
今回の赤富士は北斎の作品ではありませんが、なんとも言えない美しさを感じますね!
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