小倉北区のお客様 蛇革の三線買取しました!
ご覧いただきありがとうございます。
おたからや横代北店の林です。
小倉北区のお客様から蛇革の三線のお買取りをさせていただきました!
ありがとうございます!
沖縄の伝統的な楽器ですね。
ところで三線も三味線もデザイン似てるし、線の数も一緒なんで違いが分からなかったので少し調べてきました!
まず、大きな違いを挙げると、「大きさ」「重さ」「胴体に使われている皮の種類」です!
三線は全長約80cmほど。これに対して三味線は約100cmほどで、三線に比べて少し大きくなっています。
そして次に重さをみてみると、三線は約1kgほどですが、三味線は約2〜3kgあり少し重たいです。
そして最後の大きな違いは皮!
三味線は犬や猫の皮が使われていることが多いですが、三線はニシキヘビの皮を使っています。
沖縄のヘビと言えば「ハブ」。なのになぜ伝統楽器である三線には「ニシキヘビ」の皮を使うのか?これも気になったんで調べてきました!
何故、三線にニシキヘビの皮が使われるようになったのか…それは三線のルーツが関係してきます。
三線のルーツは、中国の楽器「三弦(サンシェン)」だといわれています。
三弦は胴にニシキヘビの皮が張られていて、見た目は沖縄の三線にそっくりです。ただし大きさにバリエーションがあり、大三弦・中三弦・小三弦の3つがあります(大三弦は日本の三味線よりも棹が長い)
明代(1368~1644)の中国の都市部で親しまれ、語り物や劇音楽に使われるようになり、家庭音楽として嗜む人もいたといいます。
中国の「三弦」が沖縄にいつ伝わって「三線」になったか。これを示す資料は現在のところ存在していません。そのため伝来の時期や経緯については推測の域はでません。
伝来の時期について推察するために14世紀末の琉球と中国の動向に注目してみましょう。
琉球は1372年に中国の朝貢国となり、以後、中国とのパイプが太くなっていきます。1392年には中国が琉球に福建省の人々(「閩人三十六姓」と呼ばれています)を派遣しました。
福建省から渡ってきた人々は、中国と琉球を往来するための航海・造船の技術をもち、また外交文書の作成や通訳、交易などを担い、琉球の発展を支えました。
彼らの中には帰化人として琉球に永住する者もいて、しだいに那覇の港の付近に華人が集まり住む「久米村」が形成されます。
この久米村は琉球に中国文化が流入する窓口となっていきました。
先ほどお話ししたように明代の中国の都市民の間には三弦が浸透していて、それは福建省も同様でした。
このような理由から、14世紀末~15世紀頃、福建省から琉球に渡ってきた人々が三弦を携行し、久米村を拠点に福建の三弦音楽が琉球に持ち込まれたと考えることができます。
そして15世紀の間に、琉球の士(さむらい)たちの間に三弦が琉球化した「三線」が広まり、琉球在来の歌を伴奏する楽器として饗宴の音楽や芸能の伴奏を担うようになったとみられます。
以上のように「三線」のルーツになった楽器「三弦」が蛇の皮を張った弦楽器だたっため、三線には蛇皮が使用されるようになった、と言われています。
当店では三味線も三線もしっかりとお買取りさせていただきます!
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